小林佐智子さんは、愛知県武豊町を拠点に創作活動をされている染織家です。およそ25年前から風通織(ふうつうおり)の創作を開始。創作活動のかたわら、ご主人と日本各地を巡り、風通織の調査、研究活動、雑誌への寄稿も精力的に行われてきました。
【作家略歴】
1946年 愛知県半田市に生まれる
2001年 東海伝統工芸展 初入選 以降入選21回
東海伝統工芸展 日本工芸会賞 他受賞8回
2007年 日本伝統工芸染織展 初入選 以降入選15回
日本伝統工芸染織展 文部科学大臣賞他受賞 3回
2007年 日本伝統工芸展 初入選 以降入選14回
2011年 日本工芸会正会員認定
2013年 日本伝統工芸展60回記念「工芸からKŌGEIへ」展出品
2020年 東海伝統工芸展 審査委員
2021年 日本工芸会東海支部参与
第68回 日本伝統工芸展 日本工芸会総裁賞受賞
2021年8月25日時点
風通織は、表側の模様と裏側の模様をそっくり入れ替えて織る二重組織の織物で、名物裂にもみられる伝統的な錦の一種である。明治30年代、織物授業師が、教本と50cm程度の布に120種もの模様を織り込んだ織見本を携えて、村々を巡り、日本中に広めていったという。
風通織の最大の魅力は、異なる色の組み合わせと織り方次第で、様々な模様を表現できるところであろう。教本を初めて見た人々は、織の緻密さ、美しさに、さぞかし驚いたのではなかろうか。
風通織との出会い
小林もその美しさに魅了された一人。日本各地の色々な織りや機織機を見て回っていたころ、風通織の資料を手に入れたことが小林と風通織の出会いだった。同じような柄に見えるのに、少しずつ違う。小林は風通織に徐々に心惹かれていった。
小林が住む愛知県知多地方には、八本踏木の機織り機を使った織り方が伝わっていた。しかし、調査をしているうちに、より簡素な四本踏木でも同じように織ることができると知り、様々な柄を復元しているうちに、どんどんと風通織にのめり込んでいった。
そんなある日、大叔母の納屋からも教本と織見本5枚が見つかった。その教本には、四本踏木の織り方が掲載されていた。この出来事に運命的なものを感じた小林は、よりいっそう風通織への思いを強くしたという。
木綿の風通織
小林は素材に木綿を使うことにこだわっている。木綿を使うことについて、木綿の魅力について、こう語る。
小林:木綿が好きです。手触りが良く、着心地が良く、扱いが楽で、安価で手に入りやすい。親しみやすいです。糸を細くし、ケバをとり、シルケット加工し、漂白をすれば、絹かと人に問われる美しい木綿糸になります。絹では嫌なのです。風通織の二重織がふっくらとした温かみのある風合いになり、相性がよいと思います。それに着てみると軽く感じますし、体に優しくそぐいます。着ていて、気持ちが和らぐ気がします。
風通織は二重織のため、着物として着用するには、冬は袷にして、とても暖かく着ることができる。春、秋は単で、八掛で仕立てると裾捌きがよい。
作家は、風通織以前は、自身の畑で作った綿の手紡ぎの糸を使っていた。しかし、風通織は二重織のため、この手紡ぎの糸では作家が望むしなやかな風合いを出すことはできなかった。自身のイメージする軽やかな織を実現するため、より繊細な紡績糸を探し続けた。今は一尺一寸巾に経糸(たていと)2200本、1cm巾に緯糸(よこいと)66本の反物も織っている。
自然の色そのままに
染めは草木染めで行うことにこだわっており、染料のほとんどを、畑で育てたり、自身で採集している。標準色はもちろん、かめのぞき色やはなだ色などの伝統色といわれるものまで、およそ200色以上の糸を常備している。
試行錯誤を重ねて、最近やっと染めムラのない透明感のある緑色が出せるようになった。この糸を使って作られたのが、『こもれ日』である。
端正に織る
小林は、通常の寸法よりも少し長めの1反18mを、1年に3反仕上げ、日本伝統工芸展、染織展、東海伝統工芸展に応募している。縦糸を長管に巻き、整経、筬差し(おささし)、ちきり巻き、綜絖通し(そうこうどおし)、再筬差し、機揚げなどの、機織り前の準備で計20日程度、織りは約2ヶ月半のペースで製作を行っている。
間近に見れば見るほど、端正に織られていることが分かる小林の風通織。このように正確さが求められる二重織では、細心の注意を払い、丁寧に織っていくことが求められる。糸切れや縫い目が飛んだりは、かすかな音を頼りにその場で気づくことがほとんどだが、まれに、かなり先まで織ってしまった後で気づき、落胆することもあるらしい。
この織直しは、実に骨の折れる作業である。何せ、織る倍以上の時間がかかる。1模様18cmとすると、緯糸は1000段以上。1模様ごとに物差しで確認していく。長さが合わなければ、どこかに間違いがあるということで、その箇所を探し、一段ずつ解いていく。経糸に負担を掛けないように、丁寧に、丁寧に。
間違いでなくても、その日の朝と夕方、天気によって打ち込みにムラが出ることも。納得いかず、「やっぱり解こう。」と織り直すこともしばしばらしい。
完成した風通織は、小林自身が仮仕立て、知人の和裁士が本仕立てを行い、美しい着物へと姿を変える。
風景のようなデザイン
作家の風通織からは、そっと寄り添うような優しさを感じられる。草木染めの穏やかな色の組み合わせからなる織は、まるで自然の景色を眺めているようで安心し、どこか懐かしい気分になる。そんな、思わずほっとするデザインのインスピレーションはどこからやってくるのか。
木綿着物『林道の朝』(令和2年第54回日本伝統工芸染織展)、『こもれ日』(令和3年第52回東海伝統工芸展)は、どちらも北アルプスを訪れたときの感動を表現したという。
小林:『林道の朝』は、北アルプスの林道を歩いているときに見た景色が、インスピレーションとなっています。冬の北アルプス、早朝、細かい雪に朝日が当たってキラキラと空気がピンク色に染まっている、私の雪を踏む足音だけ。そのときの感動をデザインしました。
小林:『こもれ日』は、「緑の光」を表現しました。娘が大町に住んでいることもあり、毎月のように北アルプスの麓を歩きに出掛けました。ブナの森を歩いているときに、全身で自然と会話をしているような嬉しい気持ちを味わいました。さわさわと揺れる緑の葉からこぼれるキラキラとした光。「ありがとう」と思わず感謝の言葉が出てくるような、美しい光景でした。目から入る美しい色だけでなく、頬に当たる風、鳥の声、木々の香り、水の音、新緑の森の木漏れ日を浴びながら、五感で幸せを実感した時の気持ちをデザインしました。
風通織の魅力をもっと
無限の世界が広がる風通織。作家は風通織に対し、並々ならぬ思いを抱いており、まだ誰も織ったことのない柄、美しい色使い、感動を表現し続けたいと語ってくれた。また、その魅力をもっと多くの人に知ってもらえたら、という願いも抱いている。作家の思いを写す風通織、どのような織となって今後は表れるのか、楽しみに待ちたいと思う。
小林:次はどんな風にしようか?といつも考えています。この色を使いたい、それに合う色は、こんな柄にしたい、どう組み合わせたらよいか。風通織の奥深さはどこまでも広がっている・・まだまだ入り口をウロウロしているように思います。
七彩編集後記
以前から風通織を見かけるたびに、「素敵な織りだな」と思っていましたが、小林さんの風通織木綿着物『こもれ日』(令和3年東海伝統工芸展)を見たときに、なんて美しい織なんだろう、とハッとしました。すぅっと惹き込まれていき、その場にしばし佇み、戻ってはまた眺めて・・、ということを繰り返し・・。
柔らかい緑とペールイエローの糸が入り組んだその織は、精巧なパズルを見ているかのようである一方、全体をゆったりと眺めてみると、まるで森の中にいるような感覚を覚えました。それも、今回小林さんの創作エピソードを伺って納得。
日向ぼっこをしているような、温かい、ほっとした感覚。わたしの中にある、木々や柔らかい光、自然にまつわる記憶や思い出が掘り起こされたのかもしれません。パンデミックで閉塞感の漂う世情だったこともあってか、明るく、それでいて優しい色使いの『こもれ日』は、ぽかぽかと、わたしの心を照らしてくれているかのようでした。